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我々はなぜ「AIが言ってたんですけど」と枕詞をつけるのか

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AI·5責任の所在·4予防線·4期待値·4当事者意識·3オーナーシップ·3壁打ち·3客観性·3思考の打数·3思考のプロセス·2Slack·2SNS·2

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我々はなぜ「AIが言ってたんですけど」と枕詞をつけるのか

我々はなぜ「AIが言ってたんですけど」と枕詞をつけるのか

こんにちは、JP(Ohtaki)です。

最近、社内のSlackやMTG、あるいはSNS、登壇などで、以下のような言葉を耳にすることが増えないでしょうか。

  • 「これ、AIで作ったんですけど…」
  • 「AIがこう言っていたんですけど…」

少し前までは「最新技術を早速キャッチアップして使ってみたんだな!」というポジティブな“やってみた感”として受け取られていたこの言葉ですが、最近は少しニュアンスが変わってきたように感じています。

結論から言うと、今の「AIが〜」は、どこか「責任の所在を曖昧にするための予防線(あるいは責任逃れ)」のように聞こえてしまう瞬間があるのではないか、というお話です。

今回は、この現象の背景にある心理と、私たちが「AI」という言葉に本当に期待していることについて、少し深く考えてみました。

1. 「AI」という免罪符

炎上を恐れずに率直に言うと、「AIで作った」「AIと壁打ちして」という言葉の裏には、以下のような無意識のメッセージが隠れている気がします。

  • AIで作りました(だから、細かいニュアンスがおかしかったり、グラフィックの途中の変なパーツがあってもスルーしてくださいね)」
  • AIと壁打ちして作ったんです:(だから、これは自分の言葉ではありません。もし間違っていても僕を責めないでください。あ、でも打席に立って成果を出したのは僕です)」

つまり、「打席に立った手柄は欲しいけれど、エラーしたときの責任は負いたくない」という心理の現れ、すなわちプロ意識のトレードオフが発生してしまっている状態です。

「AIが〜」を免責事項にしてしまうと、アウトプットに対する当事者意識(オーナーシップ)が薄れてしまいます。極論、出てきたものが正しく、価値があると信じているなら、プロセスが何であれ堂々と「自分のアウトプット」として出せばいいはずです。
「AIが〜」なんて付ける必要ないんです。

2. 言葉の背景にある「期待値」の不在

では、なぜ私たちはわざわざ枕詞に「AIが〜」と付けてしまうのでしょうか。

ここで、日常会話における「言葉の期待値」について考えてみます。

例えば、誰かが打ち合わせに遅れてきて、
「すみません、今日車で来たんですけど……」
と言ったとします。

この「車で来た」という言葉を聞いた側は、無意識にその後に続くストーリーへの期待値を持ちます。

  • 「渋滞にハマっちゃって」という遅刻の言い訳に繋がる期待
  • 「途中の交差点で変な車がいてさ」という雑談のネタに繋がる期待

人間が発する言葉には、必ず次のコミュニケーションをドライブするための「期待値」が含まれています。

では、「AIが言ってたんですけど」という言葉に対して、私たちは一体何を期待しているのでしょうか?

現状、この枕詞の後に続くのは、多くの場合「だから間違ってるかも(予防線)」というコミュニケーションのシャットダウンです。これでは、言葉が持つ本来の生産的な期待値が機能していません。

3. 私たちは「AI」という単語に何を期待すべきか

もし「AIが〜」という言葉をコミュニケーションに組み込むのであれば、単なる予防線ではなく、前向きな期待値を乗せるべきだと考えています。

例えば、以下のような文脈であれば、聴き手にとっても価値のある「AI」の使い方になります。

A. 「壁打ち相手」としての客観性の提示

「自分としてはA案が良いと思ったんですが、

AIに批判的な視点でレビューさせたところ、B案のリスクを指摘されました。客観的に見てもB案の筋が良いかもしれません」

これなら、「思考のプロセスを補強するためにAIを使った」というポジティブな期待値(論理性の担保)が生まれます。

B. 「思考の打数」の証明

「このデザイン、

AIを使って100パターン出力した中から、現在のトレンドと自社のトーン&マナーに合致する上位3件を絞り込みました」

これなら、「圧倒的な試行錯誤のフィルターを通過してきた」というクオリティへの期待値に繋がります。

まとめ:自分のフィルタを信じる

AIは強力なツールであり、私たちの思考や実務を何倍にも加速させてくれます。

だからこそ、AIが出した結果をそのまま右から左へ流して「AIが言ってた」と予防線を張るのではなく、「AIの力を借りて、自分が解釈し、自分が責任を持ってこれを出している」というスタンスを忘れないようにしたいものです。

どんなツールを使おうが、最後に成果物に魂を込め、責任を持つのは他でもない自分自身。

次に「AIが〜」と言いそうになったときは、一歩立ち止まって、「自分は今、この言葉にどんな期待値を乗せようとしているだろうか?」と自問自答してみると、ワンランク上のアウトプットができるようになるかもしれません。

もちろんこの記事もAIに添削してもらいながら作成しましたので、私自身よりもきれいな言葉遣いになっていると思います。

自分の発言に自信を責任をもってすごしていきたいですね。

それでは皆さん、よいAIライフを。